『オスカー 天国への旅立ちを知らせる猫』(デイヴィッド・ドーサ著、栗木さつき訳)
の感想を今さらだけど書いておく。(読んだのは半年以上前)
認知症の人がケアを受けながら最期を迎えるナーシングホーム。そこで暮らすオスカーという猫の話。
患者の死を予知して、亡くなるまで静かに寄り添う不思議な猫が、オスカー。
猫が主人公なようでいて、この本は、認知症患者とその家族への優しさに満ちている。
認知症の家族がいる身としては、オスカーの不思議な能力もさることながら、
大切な家族が認知症になり、為す術なく立ちすくみ、それでも事態に対処していく家族の姿と、
それを見守る医師やホームのスタッフの言葉や視線に、グッとくるし、共感する。
中でも印象に残ったのが「認知症の親を見舞うのは墓参りをするのと同じことだ」というくだり。
たとえ本人の反応がなくても、一緒にいることに価値がある、という医師と家族のやり取りだ。
先日母の施設に行った時にもこの言葉を思い出し、実際はどんな場面だったっけ?と
久しぶりに本を開いてみた。
・・・これこそまさに、ナーシングホームに通うときのわたしの気持ちでした。
”それは墓地に花を持参するようなものだ-真の務めは過去とともにある”
そう、この言葉。
この言葉のお陰で、私は母の施設に行くことが、少しだけ楽になった。
そして、けったいな母の認知症の症状や、日に日に進行していく様を
無理に「受け入れ」ようと思わなくなった。
母を施設に入れたことの後ろめたさも、子どもの頃から抱いている葛藤も、
家で介護していた頃のしんどかった思いも、老いが進んでいく寂しさも。
苦く寂しい気持、それはそれとして、心の中にあってもいいし、
それでも私は、日々を幸せに生きている。