花が届いた。
母がいた施設から。
今日は母の命日で、墓参りに行こうか迷ってたら、宅配便の人がきた。配達の時間指定は、母が永眠した時間に合わせてある。泣ける。
去年のちょうど今頃、天気もこんな感じの、気持のいい晴天だった。今日のこの日を覚えててしんみりするのは私一人だろうと思っていたので、とても嬉しい。優しい手でそっと背中をさすってもらったような心地だ。
死んだ人を悼むのは、死んだ人本人のためであり、同じくらいに遺された人のためなのだと、親の葬式を二度出してわかった。
自分以外の誰かがこの日を覚えてくれて、そっと気持をかたむけてくれる。
次の機会にはそんな誰かの側に静かに寄り添うことができたらと思う。
世の中は今日は「アイスクリームの日」だそうなので、今夜は母の好物だったラーメンとデザートにアイスクリームを食べようと思う。(これは手抜きの言い訳)
2013年2月28日(木)正午、電子雑誌【トルタル】4号がリリースとなります。
これまでの号をお読みくださってた方も、読んだことない方も、ぜひダウンローディング&リーディング!
よろしくお願いいたします。
■トルタル4号はこちら
http://bit.ly/torutaru_4 (直ダウンロード)
http://bit.ly/Torutaru_4 (Dropbox経由)
■『わたしとわたしの母のこと~親が認知症になるということ~』
という文章作品で、私は創刊号から参加しています。あちこちで書いていますが、私の母は「前頭側頭形認知症」という人格が豹変し暴言を吐き暴れるタイプの認知症でした。そんな母のこと、介護の前後のわたしたち家族のことを書いています。今号は母の認知症のことを離れ、わたしと母の親子関係がテーマです。私の生い立ちのダークサイドをたっぷりと書きました。自分の書いたものを宣伝するのは気恥ずかしくおこがましいのですが、今号はぜひみなさんに読んでほしいです。どうかどうか、よろしくお願いいたします。
■トルタル創刊のきっかけはSNS
トルタルは2012年4月創刊です。仲間の募集もSNS。そして毎号の誌面作りもSNSがベース。私は京都に住んでいることもあり、トルタルのメンバーで直接会ったことがあるのは編集長の古田さんだけ。それでも、トルタルな方々とのSNSでのやり取りは不思議と居心地がよく、普段家で一人ぼっちで文章を書いたり家事をしている私には大切なつながりであり、「仲間」な感じです。
■制作はソーシャルメディアをフル活用
そんなSNSベースで作っているトルタルの制作過程について、編集長の古田さんと技術班の小嶋さんが去る1月18日、JEPA「第18回 EPUB 3制作の現場から II」でプレゼンをされました。
発表時のスライドがコチラ。
「電子雑誌トルタルにおけるソーシャルメディアの活用事例」というタイトルで、トルタルがいかにしてソーシャルメディアを活用し誌面作りをしているかがよくわかります。
ということで、みなさまぜひ、トルタルをよろしくお願いいたします。
■トルタルについて、読み方とか、バックナンバーとか( トルタルFacebookページ より)
<初めて読むよ、読めるかな?という方はこちら>
「トルタルの読み方」(2013年2月27日更新しました)
http://kanakanabooks.com/?p=162
iPhone/iPad/iPod touchで読もうという方はiBooks
Android端末で読む方は、Himawari Reader
Windowsパソコン・Macで読む方はReadiumをあらかじめインストールしておくと吉ですよ。
電子雑誌トルタルバックナンバー一覧http://kanakanabooks.com/category/books
トルタルってなに?
(NAVERまとめ)http://matome.naver.jp/odai/2135201651681751801
こんにちは。
各地から桜の便りが届いてますね。
世間では年度始めでエイプリールフールで日曜日の今日ですが・・・
今日は『電子雑誌トルタル』の創刊日なのでございます。
今から約100日前、フリーライターの古田靖さん が「電子な雑誌を作りたい」とつぶやいたのをきっかけに世界各地から集まった仲間たちで作った素敵な雑誌です。電子です!ネットです!無料です!
私も、母の認知症介護をテーマに記事を書きました。
文章、イラスト、音楽、映像、そして電子書籍の開発と、各界のプロが無償でワイワイ楽しみながら作った電子雑誌です。みなさまもぜひ、お手に取って楽しんでみてください。
■トルタルのご紹介とダウンロードは→こちら
■トルタル読み方ガイド。とてもわかりやすいEPUBの読み方です→こちら
■チョーかっこいいトルタルのPV→こちら
ではみなさん、トルタルをよろしくお願いします!
3/14にオープンした京都水族館に娘と行ってきました。
これから行こうかと思ってる近隣の方向けの、行ってきたメモです。
・入場券は用意しておいてよかった。
今日は入場券もしくは年間パスを買う人の長い列ができてました。60分待ちとか。チケットもってれば、すぐに入れましたよ。
わが家は、阪急桂駅東口からバスで行きました。京阪バスの窓口で入場券と往復のバスがセットになったチケットを売ってるのです。大人2000円、幼児600円。水族館の入場料の額でバスも付いてきてお得。
・カメパンがかわいい
エントランスから順路を進んで最初の売店で、海の生き物を模したパンを売ってます。今日はこのお店も大行列。11時の時点でチョコ味のイルカパンや抹茶味のカメパンなど既に売り切れのパンもいくつか。
娘が食べたかったプレーンなカメとチョコ味のカメ、カクレクマノミのパンを買い、館内のベンチで食べました。人気のパン屋さんが作っているとのことで、パンは優しいお味でおいしかったです。
・イルカショーは大人気
11時に入館し、すぐに12時からのイルカショーに並ぼうとしたところ、既にほぼ満席と言われ、先にパンを食べた私たち。覚悟を決めて13:30の回に並ぼうとショーの会場に行くと、通路脇で立ち見なら12時の回が見られるとのことで、立ち見で見てきました。プールとの距離が近かったので、水中を泳ぐイルカを観ることができました。4頭のイルカによる20分ほどのショーの中には、観客2名がステージでイルカと握手、というコーナーも。初めてイルカショーを観た娘は夢中で見入っていました。
・お土産売り場も大混雑
今日は、カメパンとイルカショーに目的を絞っていたので、ショーを見終えて帰ることに。お土産売り場に立ち寄り、そりゃー何も買わずには帰れまいと思っていると、案の定、娘はイルカのぬいぐるみが欲しいと言います。次は買わないよ…とかゴニョゴニョ言いつつ、甘いハハだな〜と思いながらも、イルカを買うことに。とにかく大混雑の水族館ですが、お土産を買うにも行列です。15分ほど並んで会場を済ませました。
水族館を出ると、チケットを買い求める人の列は朝よりも長くなっています。90分待ちだとか。
京都に水族館ができることをみなさん楽しみにしていたのですね。
春休みとはいえ平日だし、となめてましたが、かなりの盛況ぶりです。
大阪の海遊館と比べると規模は小さいです。とはいえ、家の近くでイルカやペンギンを観に子どもと出かける場所ができたのは嬉しい。
今日は、イルカ以外の展示は全く見られずじまいだったので、次は私の大好きなペンギンや、名物?のオオサンショウウオをゆっくり観て回りたいです。
そうそう。毎日ではなさそうですが、子ども向けに、紙の魚に色付けするコーナーがありました。親子で楽しめましたよ。
春の一日、娘との楽しいデートでした。
オタマ(4歳、年少組の私の娘)が通う保育園では、定期的に保護者懇談会がある。
先日の懇談会での先生のお話。
先生曰く、『きちんと言葉で伝えること』を園では大切にしているし、
親子の会話でも気をつけてみてほしいとのこと。
特に、「水」、「ごはん」などの単語文に要注意、と。
これは、わが家でも大いに思い当たるフシがある。
子どもの言いたいことは単語だけでわかることが多いし、こっちが忙しい時に何か言われると
ついつい先読みして動いてしまうので。
とはいえ、この時期に「言葉をきちんと使って自分の意志を伝える」ことを練習しておくのは
確かに大切なことなのだろうと思う。それがひいては、相手の話をきちんと聞くことにつながるからね。
さて、ここで、親であり大人である自分はどうかと振り返ってみる。
子どもにはできるだけ、言葉を端折らずに話しをしようと心がけているけれど、どんなもんかな。
言葉は自分の気持ちや考えを伝え、相手との関係を紡いでいく大切な道具だ。
わが子やほかの子どもに対しても、周囲のオトナに対しても、そしてネット上でも、
自分の言葉、相手が発する言葉を大切にしていきたいもんだと思いつつ、
まずはもっと娘と本を読もうということで、お年玉用にこんな本を注文してみた。
子どもが眠るまえに読んであげたい 365のみじかいお話
これからも、できることなら、あたたかい言葉・美しい言葉で大好きな人たちとの時間を紡いでいきたいと年の瀬の午後に年賀状を印刷しながらシンミリしております。
オタマジャク子(以下、オタマ)とは、わが家の4歳の一人娘。カエルキャラの母なので、子もオタマ。
そんなオタマの、4歳の夏の成長の記録です。(親バカ満載要注意。主に親の備忘録)
オタマは、0歳代から保育園に通っている。通園4年目のこの春、やっと年少さんになった。6年間の保育園生活の折り返しである。
オタマは、両親に似て人見知りだ。保育園でも最初の2年間ほどは担任以外の先生にはなつかず、ほかの保護者に話しかけられても、恥ずかしそうにモジモジしているクチ。そんなオタマの人見知りぶり、私は嫌いではない。私自身は「人見知り気味でもいいじゃん」と思っている。「人見知りを克服しようね」とか言われると、内心イラッとくる。人見知りは、信頼できる人・愛着のある存在を認識し、そうでない者を自分なりに認識している証拠かなーなどと思うので。・・・まあ、程度問題ですけど。
そんなオタマ。
去年の春、諸般の事情で1年早く年少さんのクラスに上がったあたりから、様子が変わってきた。先生やお友だちとの関係もぐんと広がり、本人も運動会などの行事に積極的に参加するようになった。
そしてこの春。以前から通いたがっていた水泳教室に通うようになったオタマ。当初、夫も私も、「親から離れてプール入るとか、ウチの子大丈夫なん?泣くんちゃう?ま、泣いたら泣いたでいっかー」と話していたのだが。いざ初日を迎えてみると、オタマはすんなりと担当コーチに手を引かれて、プールサイドへ旅立っていった。
そして夏。保育園でもプールが始まり、オタマに大きな変化が訪れる。
スイミングに通っているオタマは、今年度のクラスの中では水が得意だったらしい。潜ったり、ちょっとバタ足したり、が上手な方だったのが、オタマには大きな自信になったようなのだ。そのイキイキぶりに、先生も親も感無量というか。人見知りで引っ込み思案だったオタマは、スイミングに通って、自分なりに自信をつけたんだろうと思う。一段と楽しそうに保育園とスイミングに通い、一段とオマセな物言いをするようになった。きっと今頃がいちばん可愛い時期なんだよなーと思いながら、夏の夕陽を背に走り回るオタマの背中を見ていた。
秋になると、保育園は運動会一色。オタマは、たぶん私に似て、負けず嫌いだ。明らかに運動オンチなんだけど、まだ本人はそこに気付いていないので、運動会のかけっこでは、イチバンになりたいと言う。
連日、砂ホコリにまみれて練習し、迎えた運動会当日。
いちばん気合が入っていたかけっこで、なんと・・・
オタマは、転倒してしまった。
それでも、すぐに立ち上がり、ゴールまで駆け抜けたオタマ。
私からは背中しか見えなかったんだけど、その寂しそうに丸まった背中を、園長先生が静かにさすってくれている。
泣きたいんだろうな・・・ と思った。でも、本人は泣いてなさそうだったので、私もグッと涙をこらえた。
競技が終わり、各家庭わが子を迎えに行く。私の姿を見るなり、オタマは駆け寄ってきた。
抱きとめて、抱き上げた瞬間、オタマは私の首筋に顔を埋める。
よくがんばったね、お顔見せて。
そう言って無理に顔を上げさせると、案の定、頬に光るものが。
本人は、残念だったし恥ずかしかったのだと思う。
しかしながら、先生方や多くの保護者に、「転んでもすぐに立ち上がって走ったの、えらかったで!」と褒められて、娘なりに気持が収まった様子。
こうして、娘の4歳の夏が過ぎ、オタマジャクシだと思っていた娘のお尻から、ふと気がつけばシッポがなくなっていた・・・ような気がする。
オマケ。
そんな娘は先日、スイミング主催の遠足に親ナシで参加して、夕方意気揚々と帰ってきた。この神経の太さ、誰に似たんだろう・・・(たぶん、私)
去年の今頃に書いた記事を修正して再掲します。
毎年、この時期になると思い出すので、今年も父の供養として。
サッカーの日韓ワールドカップのあった年、父は他界しました。
その年の初めに父は末期癌で余命3ヶ月と宣告されました。
私は仕事を辞めて故郷に帰り、母と交代で病院に泊まりこんで看病をしていました。
病気の進行は早く、痛み止めを増やしながら、最後は眠ったままの状態で、父は旅立ちました。
(以下、昨年の記事本文)
その前の晩。
父にとっての最後の夜は、ちょっと不思議な夜だった。
病室の消灯前、いつものように看護師さんが巡回してきてカーテンを閉めようとしたら、
遠くでたくさんの打ち上げ花火があがっていた。
6月にこの界隈で打ち上げ花火をするイベントは思いつかず、「なんだろうね」と言いながら、
その花火の美しさに、看護師さんと母と3人で、しばし見とれた。
もう消灯時間は過ぎようとしていたけれど、看護師さんは「あんまりキレイな花火だから」と、
まだ起きている患者さんに花火のことを教えてあげようと、足早に病室を出て行った。
消灯の21時を回り、毎晩泊まり込んでいる母を置いてそろそろ帰宅しようかというその時、
病室の出入口のカーテンがかすかに揺れた。
そこには、家族ぐるみでお付き合いのあるご夫婦が立っていた。高校教師だった父がかつて担任した生徒さんとその奥さんだ。
面会時間を過ぎていたけれど、守衛さんが通してくれたのだという。手にはサクランボの箱。
奥さんが働いている農園の初物だそうだ。 父の意識がもうないことはご存知だたったが、
それでも、父に、と。
実はこの頃、変わり果てた父の姿を人様にお見せするのがさすがに辛く、 面会はお断りしていた。
しかし、その夜は、母も私も、自然とお2人を招き入れていた。
父の体に酸素を送り込むポンプの音が規則的に響く病室で、ベッドに横たわる父の姿を見るなり、
彼は父の手を取り握りしめた。みるみるうちに、彼の目に涙が浮かぶ。
「先生、今まで本当によくがんばったんだな、えらかったな、先生」
母も私も彼の奥さんも、涙しながら、2人を見ていた。
それまで、お見舞いにいらした方々からは「がんばって」「奇蹟を信じて」と言われていた父であり、
私たち家族だった。
「よくがんばったな」と言われたのは、この時が初めてで、最後だったと思う。
「また来ます」とは言わずに、ご夫婦は帰って行った。
なんだか不思議な夜だね、と言いながら、私は母と別れ、車で家に戻った。
家について、いつもどおり、一息つこうとビールの缶を手に取ろうとすると、電話が鳴った。
母からだった。
「今すぐ病院に戻って。たぶん、今夜だと思う。」
看護師だった母の仕事の勘なのか、配偶者としての勘なのか。
とにかく私は、病院に取って返し、父のベッドの側で仮眠をとった。
その夜、母は、ずっと起きて父の側に座っていた。
明け方4時頃、母に起こされた。
「そろそろよ。」
父の呼吸が、明らかに浅く、弱くなっていた。
深夜勤の看護師さんに来てもらい、様子を見てもらう。
彼女は、母が看護学校の教官時代に担任した人だ。
この朝は、小学校1年生の娘さんの初めての運動会のはずだった。
前の晩、「晴れたら夜勤明けに応援に行けるんだけどね」と話していたところだった。
外は、音もなく霧雨が降っていた。
静かに、母と私は父を見守った。
そして6時を過ぎた頃、いよいよ父の呼吸は弱くなっていく。
行かないで、という思いと、穏やかに眠る父の顔の狭間で、言葉を発せぬまま、ただ困った顔で、
私は父を見つめ続けた。
静かに、本当に静かに、その時はやってきた。
その瞬間、病室が雨の音でいっぱいになった。
ナースセンターのモニターもフラットになったようで、
夜勤明け直前の彼女が、スルリと病室に滑りこんできた。
誰も言葉を発しないまま、視線だけが行き交う。
「運動会、今日はできないですね」と私が言うと、
「泪雨だね」と、彼女が窓の向こうに視線をそらした。
6月の日曜日、冷たい霧雨が降る朝だった。
2011年3月31日発行 ☆★☆──────────────────────────────── ~前頭側頭型認知症でアスペルガーな母のことをもっと知りたい~ カエル党通信 ───────────────────────────── 第8号 ---- ご無沙汰しております、発行人の やまもとはるみ です。 前回の発行が昨年7月。そして気がつけば、今年度最終日。気持を新たに4月 を迎えたいと思い、久々に発行いたします。 さて、先日の東日本大震災、みなさまの生活にも少なからぬ影響がおありのこ とと思います。お身内やご友人が、そしてご自身が、被害に遭われた方もおら れるかもしれません。 私は、大学卒業まで東北に住んでいました。変わり果てた懐かしい街の姿に、 胸が張り裂けそうな思いです。 東北地方の復興には、かなりの時間がかかることでしょう。しかしながら、粘 り強く強い心を持つ東北の人たちは、静かにそして着実に、回復していくもの と信じています。 被災していない私ですら、悲しみや不安に振り回されそうになります。東北の 人の強さを信じ、自分の中の東北の血を信じて、復興を息長く見守り、応援し ていきたいと思っています。 ___________________________________ ■最近の母のこと。そして、私の課題。 ___________________________________ <最近の母> 前頭側頭型認知症と診断され、要介護度4で母がグループホームに入居してか ら、2年4ヶ月が経ちました。 入居直後は、家にいた時と同様、感情の起伏が激しく、暴言や暴れたりするこ ともしばしば。意思の疎通もほとんどできず、入浴や受診、着替への拒否が強 かった母。家にいた頃から布団やベッドで寝ることをせず、入居後もソファで 寝ていた母。 入居からまる2年が経過した昨年秋頃から、状態に少しずつ変化が現れました。 訪問の美容師さんに数年ぶりに髪を切ってもらい、お風呂も2,3日おきに入 るように。そして年明けからは、ベッドで寝るようになり、さらには、他の入 居者と同じテーブルで食事を摂るようになったのです。 そして、以前に比べてて感情が昂ぶる回数が減り、スタッフが格段に介護しや すくなったとのこと。 母自身がこの自分の変化をどう感じているかはわからないのですが、私はよか ったと思っています。ホームのスタッフが母と関わりやすくなったと感じてく れるのは、母にとってもいいことでしょうし、何より、勝手な話ですが、私の 気持が楽だから。 さて、ここまでお読みいただきてお気づきの方も多いと思いますが、これらの 母の変化は、母の病状が進んだことを意味しているようです。 今の母の表情は穏やかともいえますが、以前に比べて変化に乏しくなりました。 私の存在も認識していないようですし、名前はもちろん出てきません。 もともと人と気持を通わせることが難しい母でしたが、今は意志や感情を人と 通わせることは、ほとんどなくなってしまいました。 認知症である以上、いずれこういう時がくることを頭ではわかっていましたが 正直なところ、やはりショックでした。介護職である夫も同様だったようで、 仕事でお客様に接するのと身内の病気の進行を目の当たりにしるのとは違うと 言っています。 若年性認知症として、発症からの年数を踏まえると、これまでの母の病気の進 行はゆっくりだったのでしょう。そしてここにきて、グンと一気に進んだよう に感じます。 病気の進行を受け入れる。親の老いを受け入れる。 なかなか難しいです。今の私にできることは、母の変化を「受け入れるのが難 しいこと」として心の中にそのままの形で置いておくことかもしれません。 こうして、さんざん手を焼いてきた母の「前頭側頭型認知症」の症状の一部は 鳴りを潜めているように見えます。この先、母にどのような変化が訪れるのか。 不安もありますが、夫やホームのスタッフとともに、見つめていきたいです。 <私の課題> 半年以上メルマガを発行できずにいたのは、理由がありました。母の「アスペ ルガー症候群」らしき状態と、その母のもとで育った私のこと、さらに前頭側 頭型認知症になっていった経過を、客観的に記録としてまとめたいと当初考え ていて、今もその気持は同じです。 しかし、子どもの頃の母との関わりや母の行動を書くことが、アスペルガー症 候群(などの発達障がい)の人が子育てをしたり家族を持つことを否定するよ うなニュアンスになったらどうしよう、という危惧があるのです。 これはもちろん、私自身の気持の整理とか表現力の問題ではあるのですが、な かなか筆が進みませんでした。今もまだ、言葉を探している途中です。もう少 し時間をかけて、楽しくサラリと書けるようになったら、この場でご報告いた します。 ___________________________________ ■編集後記 ___________________________________ 久々のメルマガ、お付き合いいただきありがとうございました。 今後は月1回程度のペースでお送りしていく予定です。 タイトルについている「アスペルガー」の要素は今しばらく棚上げになりそう なので、次回からは、母が前頭側頭型認知症と診断されホームに入るまでの前 後のことや、その頃の私たち家族のことをお話する予定です。 では、また次回、お会いできることを楽しみにしております。 (やまもと はるみ) メールマガジン「カエル党通信~認知症でアスペルガーな母のこと~」 ☆発行責任者:やまもと はるみ ☆公式サイト:http://kanael.typepad.jp/blog/ ☆問い合わせ:このままご返信ください ☆登録・解除:http://archive.mag2.com/0001108225/index.html ___________________________________