今日は、私の人生を大きく変えた、腰椎間板ヘルニアのお話です。
忘れもしない、27歳の冬。
当時の私は、人事コンサル会社の営業マンでした。
暮れも迫ったある日、田町のお客様のところで打ち合わせを終えて、
エレベーターまで見送ってくださるお客様に
『では、失礼いたします~』と深々と頭を下げた瞬間。
これまで経験したことのない激痛が、腰に走ったのです。まさに、稲妻のように。
腰をかがめたまま、タクシーで会社まで戻り、同僚たちに「どうしたの?」と
声をかけられた瞬間、痛みと安堵が混じって、涙がこぼれてしまったことを覚えています。
その後、紆余曲折を経て、私は大好きだったその会社を辞め、
住まいも引き払って、山形の実家に泣きながら戻りました。
手術はせず自宅療養で、と決めたものの、なかなか痛みはひかず、
その痛みが激痛から鈍痛に変わる頃には、下半身に坐骨神経痛も出てきました。
体の不快感と精神的な不安から、睡眠も不規則になって・・・
という、何ともやり切れない日々を送っていたのです。
仕事もない、結婚のあてもない、腰痛は治らない。
28歳だった私は、この先の人生がどうなっていくのか、不安で不安で仕方ありませんでした。
痛み止めの薬も効かなくなり、ブロック注射の効果もなく、低周波治療器や漢方薬の
効果もはかばかしくなく。。。
そんな私があれこれ調べて行き着いたのは、愛知県にあるとある治療院でした。
腰痛界?では有名なその治療院は、全国各地から患者さんが集まっていました。
甲子園を目指す高校球児や、バスケの強豪高校の女子選手、駅伝選手の大学生、
そしてもちろん、私のような社会人も。
入院施設はない治療院なのですが、当時は、一軒家を借り上げて、
遠方の患者は泊り込みで治療とリハビリに励んでいました。
私も、2ヶ月間、女子高生から上場企業の課長まで、いろいろな方と
自炊しながらの合宿生活を共にしました。まさに、「同じ釜の飯を食う」仲です。
そして、その仲間の1人が、私の夫なのです。
ここでのリハビリ後も、腰痛がスッキリ治ったわけではありません。
しかし、2ヶ月間集中して自分の体に向き合い、自分の体の特徴を知り、
体のメンテナンスをしたことは、貴重な経験でした。
当時感じたいろいろな思いは、今も糧になっています。
私たち夫婦の馴れ初めを聞かれたら、必然的にこの腰痛の話をするわけですが、
よく言われるのが
『そんな素敵なことあるんだったら、病気もしてみるもんだよね~』
うーん、確かに、腰痛のお陰で夫に出会い、素晴らしい仲間とも出会えましたが、
夜も眠れぬあの痛みや、自分なんてこの世にいない方が・・・なんて思いつめた日々を
思うと、やはり、体は壊さないほうがいいな、と思います。
ちなみに、出産の痛みは、あの腰痛の痛みを思ったら、なんということはありませんでした。
腰痛持ちで出産を躊躇してる女性のみなさんも、きっといらっしゃいますよね。
私も、妊娠を決心するまで結婚後4年かかりました。
私の場合は、安心してケアしてもらえる治療者と産婦人科医に出会えたことで
妊娠を決心できましたが、症状は人それぞれ。産後の子育てのこともあり、
本当に不安ですよね。簡単に答えが出ないのは、当然のことと思います。
その後も、自分で本を読んだり、治療先でいろいろ話を聞いて、
なぜ、自分は腰痛になったのか、
が理解できたので、10年かかってやっと、腰痛とうまく付き合えるように
なってきたかな、と思います。
最後に余談ですが、
病気で辛い渦中の人に、「病気とうまく付きあわないとね」という声がけ、
気をつけてくださいね。
本人は、うまく付き合えなくて、苦しんでいることが多いので。