私は、2007年の11月から約2年半に渡って
精神科に通い、カウンセリングを受けていました。
そして今週、4月12日(月)、カウンセリングはいったん終了。
2年半の間には、実にいろいろなことがありました。
夫の病気休職と復職、私自身の手術、生まれたばかりの娘の育児、
2度の引越し、
そして、母が前頭側頭型認知症と診断され、施設に入所。
一段落した今感じるのは、
「人生はどんなことが起こっても、だいじょうぶ」
ということ。
自分の人生から逃げずに、真正面から立ち向かうことが大切です。
四面楚歌!と思える状態でも、逃げずに、立ち向かい続けること。
そうすると、誰かが救いの手を差し伸べてくれたり、新しい道が開けたり。
もちろん、身も心もボロボロになるまで疲れてしまうこともあります。
その時は、潔く一時避難すること。
休むことと、逃げ続けることは違います。
以下は、4月12日(月)の夜に、Twitterにポストした自身の発言です。
自分の気持の整理の意味でポストしましたが、様々な方から共感や励ましの言葉をいただきました。
本当にありがとうございました。
ここから改めて、自分の道を、自分の足で歩いていけたらと思っています。
-----
2年半通った精神科の通院、今日でいったん終わり。当初の目的は、母との関係の整理だった。
誰にも話したことのなかった、子供の頃の辛い体験を初めて言葉 にした。
結果、母の持つ特徴が浮かび上がり、幼い頃の私も救われた。今後この経験を活かしたい。
先生、夫の支えに感謝。(あー、言えた)
-----
最近まで、私はこの世界はそもそも存在していないのだと思って生きてた。
誰かの夢の中の仮想社会の登場人物として自分。その誰かが夢から覚めたら、
この世界もなくなるのだと思っていたのだ。
-----
受験勉強に励むことも、多忙なことで有名だった会社に入って夜中まで働くことも、
シナリオのうち。
頑張り屋という性格をインストールされた自分。
そして時折、どうしようもない虚しさに襲われた。
世界は存在していないのに、なぜ私はこんなに苦しい思いをして生きているのだろうか、と。
-----
何をしても達成感や満足はなく、いつも何かに急き立てられている。
疲れ果てると、私の人格は3つに分かれる。主の自分は電源オフになる。
周囲の様子を実況中継する目の役割と、辛うじて手足を動かす補助電源の役割がいて、
辛うじて、手足を動かしている。
でも、言葉が出てこない。
-----
娘が生まれて、私の世界観に混乱が生じた。
小さくて、柔らかくて、温かくて、一心に私を見つめる瞳。
愛しい娘と生きるこの世界がある日消えてなくなってしまうのは困る、と。
-----
母との同居にも限界を感じていた。
振り返れば、認知症が進行していた母。
娘の身にも危険が及ぶようになり、私は追い詰められていた。
介護殺人や虐待、他人 事じゃない。誰だって、その線を超える可能性がある。
私の場合は、夫が救ってくれた。夜逃げ同然で家を出る、という形で。
-----
そんなタイミングで、精神科を受診、カウンセリングが始まったのだった。
2年半の間、本当にいろいろなことがあった。
母がアスペルガー症候群ではないか、と言われたのも、自分の診察で。
これまで、全て自分の責任だと思って生きていた。
そうか、母には独特の特徴があったのかもしれない、と思うと
幼い頃からの様々な謎が解けた。
私は悪くない。母も悪くない。
そんな中、母の状態も変化していった。
近所の方からの通報や、コンビニからのクレームが行政に頻繁に入る。
でも、母は頑なに受診を拒否するから、助けを求められない。
どうしよう、どうしよう・・・。
手当たりしだいに、助けを求めた。
奇跡的とも言える巡り合わせで、母の病名もわかり、受け入れてくれる施設も見つかった。
今母は、母なりに穏やかに暮らしている。私たち家族も。
-----
母がアスペルガー症候群だったかどうか、今となっては診断できないけど、たぶんそう。
前頭側頭型認知症という診断を受けているが、それだけでは括れない、母の状態。
主治医にも同じことを言われ、施設の人も感じている。認知症だけではない母の特徴。
-----
子どもの頃、食事を忘れられたり、病気に気付いてもらえず体調が悪化したり、
私は難産で仮死状態で生まれており、母にとって出産とは忌まわしい記憶。
どれだけ辛く嫌だったかという話も何度も聞かされた。
他にもいろいろあって、母は私を生み育てるのが苦痛で嫌だったんだとずっと思ってた。
でも、アスペルガーだったのかも?という仮説を得て、霧が晴れた思い。
-----
母なりにわが子は愛している。でも、愛情の在り様と表現に特徴があった。
幼い頃から人間関係が苦手で生き辛さを抱えていた母。
知識があれば、橋渡ししてくれる人がいれば、母はもう少し生きやすかったはず。
そして、私も。
-----
そういうこと含め、私は母の娘として生まれてきてよかったと思っている。
私に知識があれば、もっと母と仲良く、助け合えたかもしれないのに。
-----
私は、わが子に自分の生を救われました。
-----
ということで、今後知りたいこととやっていきたいこと。
アスペルガー症候群という特徴を持つ人とその家族のための、
子育てや役に立つ支援、
老年期における状態の変化、認知症との関係。
何から勉強したらいいのかな。
-----
さて、この先の私の人生には、どのような道が広がり、何が待ち受けているのでしょうか。
でも、何が起きても大丈夫。
それは、あなたの人生でも同じこと。
もし、不安になったり心配事があったら、私に声をかけてください。
心を込めてあなたの思いをお聞きして、
「何があっても大丈夫!」と言葉をかけますから。(←本気です)